"ブラック・マシン・ミュージック"

先週読んだ本。
野田努さんの『ブラック・マシン・ミュージック』。


ディスコ以降の、ファンク、アシッド、ロック、
デトロイト・テクノといったブラックミュージックの歴史を、
アメリカの社会変容をふまえつつ仔細に綴った
非常にリアルなダンスミュージック論。

時代的にはちょうど、以前にこのブログにも書いた
『Love Saves the Day』(by ティム・ローレンス)
以降にあたり、わたしの中では繋がりがあって、読みやすかった。
また、世代的に自分により近いというのもあると思いますが
個人的には野田さんのご本のほうが一層リアルで迫ってくるものが感じられ、ぐいぐい読んでしまいました。

というか、野田さんのダンスミュージックに関する博識っぷりには改めて、ただただ感服。尊敬あるのみ。
この本を読んで、わたしって本当に何も知らずに
ただのほほんとダンスミュージックを聴いてたんだな〜って
思わされた。

「ソウル」や「デトロイトテクノ」って言葉、
その起源もよく知らずに単なるジャンル分けの単語として
気軽に使ってた。
でもそれらの音楽には、「かっこいい」なんて
軽々しいひと言じゃ到底表しきれない程、複雑な社会的背景も
含めて、もっと深くて重くて熱いものがつまってる。

デトロイトのゲットーで育った彼らのハードな体験や心境は、
現代の東京で、恵まれた環境に生きるわたしには
どうしたって理解しきれないと思う。

でも、彼らの音楽に対する思いは、理解できるように思う。
だってわたし自身も、これまでの人生のいろんなシーンで
何度も音楽に助けられてきたし、
今なお、日々、生きる希望を与えられ続けているから。

あえてブックレビューはしませんが、
心に留めておきたいアツくて素晴らしい節がたくさんあったので、以下に引用させていただきます。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
↓以下、『ブラック・マシン・ミュージック』(野田努著)より引用


『反逆するにはこの世界はあまりにも大きくて、複雑だ。が、だからといって世界に服従できない者は、心の奥深いところで感じることを感じ、そのフィーリングを頼りに歩いていくしかない。
クラブのキッズが自分の曲を好いてくれる、そのささやかな出来事に喜びを感じるラリー・ハードの姿、それが「人生を甘受する」ことなのだ。"Can You Feel It"はそのささやかな、世界から見たらたわいもない喜びを、今という瞬間においては世界の隅々にまでいきわたらせる魔力があった。』


『デトロイトに住む黒人の多くは、社会的な地位からも富からも
遠い存在としてこの世に生まれてくる。
彼らは白人のように一生懸命に勉強したところで、
将来が保証されているわけではない。ゲットーでは、
社会的に弱い者同士が互いを傷つけあうことすらままある。
自分は必要とされていないのに生まれてきたような気持ちを味わう。
こうしたハードな状況で彼らが生きていくとき、頼りにするのは
自分たちのソウルしかない。着ている服や住んでいる家などでは
なく、すべてを奪われてもまだそこに残されたもの。
それがソウルだ。』


『90年代前半にデトロイトとヨーロッパで湧いたテクノ・ムーヴメントは、いろいろな意味で価値のあるものだった。まずそれは、アンダーグラウンド・ミュージックが12インチ・シングル主体のクラブ使用のものだけに限定されるものではないことを指し示す動きだった。アルバム単位のひとつの作品としてこの音楽が聴かれることを望むかのように、テクノを指標するクリエイターはダンスの約束事から自由な態度で独創的なエレクトロニック・
ミュージックを創造した。
が、しかしアンダーグラウンド・ミュージックはクラバーたちだけのものではないのだ。
誰もがそこに参加できるものであり、つまらないルールから自由であるべきものだ。
この時期のテクノ・ムーヴメントがその下地を用意したことはたしかであり、それはほかのジャンルでは起こり得なかった飛躍的な拡張だった。』


『そして宗教性を持たないミルズのブラック・ミュージックの目的は、「人の注意を喚起することだ」と言う。「ひとの長い一生のうちのその曲に触れる数分間で、そのひとのものの見方がその後永遠に変わるかもしれない。
しかも願わくばポジティブな方向で。だからこそ、ぼくにとって音楽をやることは価値があるんだ。それがもっとも重要なことだ。
<アクシス>よりも、URよりも、ぼく自身よりも、ひとびとの理解や意識の方がよほど重要だ。それがぼくのやろうとしてることだ。だから音楽以外の方法もいつも模索している。』


『ジェフ・ミルズが1995年からはじめた“ザ・パーパス・メイカー”(目的作り人)のシリーズは彼の思想の賜物だ。
答えそのものよりも、目的を作ることそれ自体が重要だ、ミルズはそう言う。パーティに意味はない。それ自体を楽しむことが重要であり、そして人間の快楽とは、身体や心だけではなく、頭を使うこともまた楽しいのだ。』


『「ルーツ、彼らなしではおまえは強い風に吹き飛ばされてしまう木のようなものである。リズムと音楽はおれたちが何者であるのかを教え、そして生きていくための唯一のものである。
ソウルは彼らの敬虔を継承することなのだ。
ルーツ、音楽とソウル、これらを無くしてはおれたちは道に迷い、盲目的になり、未来を見つめることができず、毎日を克服できない。」
 それはバンクスが自分自身に言い聞かせているようでもある。
そしてレコード盤のD面には次の言葉が刻まれている。
「ソウルは買えやしない。おまえらの努力には悲しみさえを感じるぜ」』


『マイク・バンクスは説明する。(中略)もし本当に
エネルギーのレヴェルが落ちているのなら、それはなんか
オーディエンスが訓練を受けてきたからじゃねぇかと思うんだ。
どんな服装ならクールか、どんなドラッグをやればクールか、
どんな踊り方なら笑われないか、とか。おれたちは
そこからは離れるぜ。モデル族のようなやつらのために
やってるわけじゃないし、そんなやつらの型にはまった
御用達の音楽なんかに興味はない。やつらに媚びてまでも
パーティをする気もないしな。
 おれたちは苦闘し格闘しているやつらの音楽を作っている。
そんな連中にとってこそ、人生はパーティなのさ。週末が来れば、連中は音楽を感じて、踊るんだ。おれが音楽を感じて欲しいと言うのは、そういうことなんだ。そこには定義も分類もない。だからパーティは面白いはずだし人生にパーティは必要なんだ』


『セオ・パリッシュは次のように説明する。(中略)
「そりゃ、誰もが創造性を使って金を稼げるわけじゃないさ。
だからこそ、それをやっているひとはなおさら社会のことを
考えていなくてはならない。月曜から金曜までハードに働いているひとに対して、つまらないDJを聴かせるわけにはいかないよ。
来てよかったと思えるようなものにしなくてはならないと思う。
彼らを退屈させたら、何のためにDJをやっているのか
わからないからね。
デトロイトに踏む実に多くの黒人はフォードの工場で働いている。とてもハードで機械的な仕事だ。デトロイトの東側だけじゃなく西側でも、東京にだってそういうひとはいる。ぼくたちはそういうひとたちの心を満足させなければいけないし、来て良かったと思わせなきゃならない。それがまず、DJに課せられた最低限の使命だと思うんだ。
それに創造性はむしろ金持ちの連中に欠如していることなんだ。
ぼくは今真剣に、オルタナティヴの必要性を感じている」』


『アンダーグラウンドとは自分たちが面白いと感じたことを
とことん追求できる場所なのだ。
たとえそこに30人しか集まらなくても、
そこには本物の世界があるじゃないか。そして対抗文化としての
大衆音楽を考えた場合、アンダーグラウンドは今でも大きな可能性を秘めている。
アンダーグラウンドは、音楽シーン再編への情熱でもあるのだ。』

© Tsutomu Noda / Kawade Shobo Shinsha, All Rights Reserved.


ご興味を持たれたかたは、ぜひご一読を。

Today's tune : Mr Fingers - Can You Feel It

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